Kyoto University Guitar Club

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部員コラム

第 1 回 [禁じられた遊び」とクラッシックギター

「禁じられた遊び」:1951 年制作
監督
Rene Clement (「太陽がいっぱい」でも有名)
音楽
Narciso Yepes (皆さんご存知、 10 弦ギターのイエペス)
内容
第二次大戦下フランスで、孤児になった女の子(パリジェンヌ)が農村に迷い込み、そこで出会った男の子と十字架を集めてお墓作りごっこをする話。アンチ・ハピネス系

日本のクラッシックギター史追いかけてみると、明らかにこの映画の公開っていうのは一つのターニングポイントとなっているように思う。 従来、歌謡曲の伴奏用の楽器としてしか認識されていなかったギターが、この映画の影響で、一つの独立した楽器として脚光を浴びるようになった。

日本人は、ギターを切なげな音色を出す楽器などと表現することが多いが、この哀愁・切なげなんていうイメージも、この映画によって形成されたものなのではないかとさえ思う。 白黒の映像・戦争に翻弄されるかわいそうな子供の物語・せつなさ、とギターの調べが頭の中でリンクされて内面化されているのだ。 若い世代に関してはそうでもないかもしれないけれど、イメージなどというものも、結局文化同様、上の世代から少なからず継承されるものだから、もし私たちがギターにそういうイメージを抱いてるとしたら、その根底には「禁じられた遊び」があるのだと思う。

さて、そんなジャパニーズクラギの原点たる「Jeux Interdits」とそのテーマソングについてコラムってみようと思う。

この映画では、バックミュージックとしてギター曲だけが用いられている。監督 Clement のギターに対するこの拘りは何なんだろう?

彼は当初、ギター界の巨匠セゴビアと仕事がしたかった。 でも制作費の関係で断念、そんな時に、パリの cafe で出会った留学生、弱冠 25 歳のイエペスを大抜擢した。

そもそも Clement の描きたかった世界とはどういうのなのだろう。この映画の原作は「木の十字架と鉄の十字架」という本らしい。 読んだことはないのだけど、タイトルから勝手な推測をすると、映画では「戦争とそれに翻弄される子供」というテーマが注目されるが、原作では、むしろ、というか同時に「階級社会」にもスポットをあてたものなのではないか、と思う。 つまり、映画の中で描かれたのは、鉄に対する木、ゲゼルシャフトに対するゲマインシャフト、都会に対する農村。戦争にもそれほど関心がなく、坦々とした時間が流れる田園地帯。 実際、映画の中でボーレットが川を流れていく犬を追って農村に迷い込んで行くシーンには、どこか別世界(別の階層)に迷い込んでゆく感がある。 メインの舞台となっているのは、そして Clement が描きたかったのは戦時下フランスの農村なのだ。

そして音楽に当てはめると、牧歌的な農村風景の背景に用いられて、最も効果を挙げうる楽器として選ばれたのが、華美なオーケストラではなく素朴なギターだったのではないだろうか。 実際、この映画において、映像と音楽のコラボレーションは素晴らしく、このギターだけを back に用いるという稀な試みは、なかなか功を奏していると思う。

ところで「禁じられた遊び(愛のロマンス)」を弾く時、通常、ホ短調とホ長調からなる、R・デ・ヴィゼー(1686~1721)作曲のあの有名なフレーズのみを弾く場合が多い。 が、実際、映画のオープニングでは、ホ長調の後に、ラモー(1683~1764)作曲の「三つの舞曲」のメヌエットの一部が挿入されている。 この部分も綺麗な旋律だから、ぜひ挑戦してほしいと思う。

以上、長々とどうも真面目モードですいません。 お次のかた( gucci だっけ)どうぞ。ちゃんと書きなさいよ!

更新日時:2003 年 11 月 10 日
執筆:ayya

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