日時: 2012 年 12 月 26 日
場所: 府民ホールアルティ
小島:京大ギター部の定期演奏会において、4回生は毎年第3部あたりで難曲を弾くというのが定例化しているように思う。しかし、今回我々4回生2人が大学生活最後の定演でお送りするのは、バッハでもヴァイスでもバリオスでもスカルラッティでもない。
トトロである。
さて、4回生にもなってジブリですか?と言う人々に私は言いたい。私達は幼少期に必ずと言っていいほどトトロを見せられ、以来大きな木のうろを見つければトトロが住んでるんじゃないかと覗き込み、家の屋根裏でまっくろくろすけを探し、ネコバスに揺られる夢を見、庭に埋めたドングリが芽を出す日を待ちわびながら育ったのである。故にトトロを笑うべからず。トトロは我々の心であり、人生なのである。そして我々は4回生として、愛すべきギター部の後輩諸君に言いたい。
お前らシケた曲ばっか弾いてんじゃねぇ!!
だから4年間の集大成として、今日この定演の舞台でトトロを弾く。演奏会に足を運んでくださった方々、そして何よりも4年間お世話になったギター部に、精一杯の感謝の気持ちを込めて。ありがとう、実に楽しい4年間であった、と。
(ちなみに私がトトロで一番好きなシーンは「トトロ!あなた、トトロっていうのね!?」のとこです。)
竹田:ジブリって退屈だなぁ…。手に汗握るバトルが連続するでもない。何でもない日常の描写が続く。金曜ロードショーで何回でも観れる。子供のころの僕はそう思っていました。そう思ってデジモンとか見てました。
しかし、大学生になってジブリを見直してみると、初めてジブリの真価がわかった気がします。執拗なまでの日常の描写、血の通った登場人物の動き、そういたものがあるからこそ、非日常なファンタジーが生きると思うのです。最初からトトロがぽんぽん出てたら、おもんないわけです。誰かが「ジブリは重力の書き方が上手だから、空を飛ぶ描写があんなに上手なんだ」みたいなことを言ってた気がします。それと同じで、ある物の素晴らしさを伝えるためにはその前提なり、背景を克明にとらえることが重要であると思います。
一方、僕たちが生きるこの世界は平凡な毎日が連綿と続いていきます。おもしろいことは滅多に起きないわけです。子供のころ、目の前に茫漠と広がっていた時間も今ではその輝き、不確定性が少し失われてしまった気がします。そういう日々を過ごす僕たちだからこそ、日常を捉え直し、時折ちらっとしか姿を見せない、心の琴線が震える瞬間を大切にしていきたいです。
(ちなみに僕がトトロで一番好きなシーンはさつきとメイがおばあちゃんの畑で採れた野菜をバリバリ食べるところです。)
竹田 和樹 (工 4) / 小島 千鶴 (文 4) |
この曲はレイ・ゲーラが大萩康司のために作曲したと言われている曲です。実はこの曲は去年の定期演奏会でも河村さんが演奏されていましたが、どんな曲でも弾く人が違えば異なった「そのあくる日」になります。大萩さんとも河村さんとも違う僕なりの「そのあくる日」を表現できるよう頑張ります。
宇野 匡範 (工 2) |
サンブラ(Zambra)とは、スペインのグラナダ特有のフラメンコのこと。洞窟の中のタブラオ(フラメンコを上演する飲食店)で行われ、踊り手の熱気が見ているこちらまで直に伝わってくる、とGoogle先生がおっしゃっていました。体中のどこかにある情熱を、拾って集めて取り落としつつ、精一杯表現できればと思います。
金丸 花実 (文 1) |
この曲は、Barcarolle(舟唄)というカテゴリーに分類され、元々はヴェネチアのゴンドラ漕ぎが、舟を漕ぎながら歌っていた唄をモチーフとして書かれた。
8分の6拍子のリズムに乗って、次から次へと波が押し寄せるかのように舟唄の調べは流れる。優しく舟底を打つさざ波、時折やってくる大きな波。舟にぶつかる波は飛沫となって、太陽の光を受けて細やかにきらめく。
いつも順風満帆という訳ではない。けれども、舟人はいつだって変わらず、力強く舟を漕ぎつづける。
実際に舟旅をしている気持ちになって演奏します。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
岸本 明子 (文 2) |
ドメニコ・スカルラッティは多くのチェンバロ曲を残し、現存するチェンバロソナタは500を超えるらしいです。この曲もそのうちの一つです。
この曲は元はホ長調ということですが、今回はニ長調で弾きます。
軽快さと華々しさと大胆さ、あとはエッセンスに繊細さを少々。
そんな感じの演奏を目指します。
今日、この場で、私の大好きな音楽を演奏させてもらえる喜びを噛みしめながら……。笑。
良永 裕佳子 (工 2) |
ヒナステラの作品といえば、難しい、前衛的なイメージが強いですが、この曲はシンプルで美しいメロディを持ち、聞きやすいものになっています。
ただヒナステラはやっぱりヒナステラで、伴奏と一体となった途端、奇妙な和音がそこかしこで響き渡ります。
優雅なメロディだけじゃない、その裏にある不協和音、娘の気持ちを感じとってもらえたらと思います。
兒島 清志朗 (工 2) / 幡地 祐哉 (文 4) |
この曲は、とある王女の肖像画からインスピレーションを受けて作曲された曲であるとされています。もとはピアノ曲で、オーケストラのために編曲されたり今回みたいに合奏のために編曲されたり、ギターソロのために編曲されたりと様々なバージョンがあります。正直、どのバージョンも良いです。合奏ならではの良さを感じ取っていただけるよう頑張ります。
conductor | 宇野 匡範 (工 2) |
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1st | 網井 圭 (工 1) / 金丸 花実 (文 1) / 貫 龍太 (経 3) / 花房 秀哉 (理 1) / 渡辺 颯一郎 (工 1) |
2nd | 梶 龍馬 (工 1) / 深津 浩佑 (農 2) / 松原 慎 (法 1) / 渡辺 悠夏 (経 1) |
3rd | 池内 勇哉 (工 1) / 江頭 佑駿 (工 1) / 杉浦 航 (理 1) / 田中 千晴 (農 2) / 柳沢 かおり (工 1) / 山元 武 (文 1) |
『あなたの恋は何色ですか?』
自分なりの答えを思い浮かべたら…
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【部員による解答】
黄 7票
橙 5票
黄緑 4票
赤 3票
白 2票
青 2票
(以下全一票)
山吹 紫 銀 虹 無色 貴方色
あなたの恋の色は何位でしたか?
私は安易に「情熱の赤だろ!」と思っていましたが、そこは流石に一癖も二癖もある部員達です、なんと一位は『黄色』でした。安易な『赤色』は四位に甘んじる結果となりました。傾向としては、暖色が上位にきたようです。暖色には人の感情を高揚させ、性ホルモンの分泌を促進する作用があるようで、その意味では納得の結果といえます。少数派には寒色である青色(アクアブルー、セルリアンブルー)、何色にも染まる白色、七色に輝く虹色、中二病全開の貴方色などの解答もありました。
さてさて、前置きが長くなりましたが本題です。
この曲で恋は「みずいろ」に例えられています。一見して失恋ソングのようですし、確かに英題は「Love is Blue」であり、英語の歌詞は破れた恋を歌う内容になっています。しかし原曲のフランス語では歌詞の内容が全く異なります。まず原題「l'amour est bleu」の水色に相当するフランス語の「bleu」は、英語の「blue」のように後ろ向きな憂えるニュアンスを含みません。フランス語原曲の2番では確かに愛する人がいなくなる悲しみを歌っていて、恋は「灰色」と表現されます。ですが、悲しみの去った3番では燃え上がるような恋の喜びを歌っていて、そこで恋は「みずいろ」と表現されるのです。全体として恋愛の歓喜が歌われた曲です。(とwikipediaに書いてありました)
部員の解答をみますと、恋を「みずいろ」に例える仏人的感覚を持つ者は残念ながらごく少数でした。やはり日本人には理解しがたい感覚ですし、恋愛を暖かみのある色に例えてしまうのは無理からぬことでしょう。
ただこの曲での「みずいろ」は澄み切った水の色ではなく、日本語で若く未熟であることを「青い」と表現する感覚に近いのかな、と個人的には思います。そう考えると、この曲で青い恋を歌うのは今まさに青春を謳歌する我々にしかできないことです。
『あなたの恋は何色ですか?』
様々な答えがあると思います。
各々の考える恋の色を思い浮かべながら、「青い」我々の弾く、「みずいろ」の恋の歌を聞いていただけたら幸いです。
conductor | 綿井 博康 (農 3) |
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1st | 阪本 浩太 (文 3) / 井川 桃子 (総人 2) / 梶 龍馬 (工 1) / 杉浦 航 (理 1) / 松原 慎 (法 1) / 渡辺 悠夏 (経 1) |
2nd | 本多 信太郎 (工 2) / 山崎 智史 (文 2) / 網井 圭 (工 1) / 花房 秀哉 (理 1) |
3rd | 広田 連 (理 3) / 内山 隆太 (理 2) / 兒島 清志朗 (工 2) / 深津 浩佑 (農 2) |
4th | 久米 達也 (工 3) / 佐藤 仁紀 (工 3) / 貫 龍太 (経 3) / 良永 裕佳子 (工 2) / 柳沢 かおり (工 1) |
ポーランド出身の作曲家タンスマンによる一曲。
響きの綺麗な曲です。
河村 悠太 (教 3) |
とてもロマンチックな曲です。
頑張って弾きます。
本多 信太郎 (工 2) |
シルヴィウス・レオポルド・ヴァイスはバロック時代の作曲家です。
このシャコンヌは組曲第10番の終曲ですが、しばしば単独で弾かれるようです。
まだまだ拙い演奏ですが、ほんの少しでもいいので何か自分の中にあるものを表現できればと思います。
山崎 智史 (文 2) |
草地に寝そべって上空を見ると、視界に映るものは空だけで、それが三次元的にすっぽり自分を包んでいるような不思議な感覚に陥ります。しかし、その向こうには宇宙が広がり、更に大きいスケールで自分の周囲を取り巻いていると想像すると、何とも言えない気持ちになりますね。googleマップで自分を中心に縮尺を小さくしていくと、意識の上では世界の中心は自分でありながら、周りの世界は広大で、その中では自分は一つの点にすぎない…孤独というか、不安というか、虚無を意識するこの感覚と似ている気がします。
私がこの曲を初めて聴いたときに感じたことも上記のような感情であったと思います。さらに曲を解析していく中で見えてきたのは宇宙の映像です。個人的な想像としてはこの曲には何となく宇宙を想起させるところがある気がします。なので私はこの曲中の旋律や和音を、宇宙空間の深淵な広がりであったり、遥か遠方で輝く恒星たちであったり、某大な時間をかけて動く巨大な惑星といったものになぞらえながら曲想を練りました。まぁ、ほとんどの人にとっては、そんなん知らんがなという話ですが…。
一方で私はこういった宇宙の超然とした様子の対極として人間の精神の不安定さと奥深さについて考えました。この曲の作曲者ローラン・ディアンスは即興が得意な演奏家です。彼が言うには、「即興によって自分の最も深い部分に瞬間的に到達する。何も考えることなく、音楽を感じることができる。」とのことです。ディアンスの楽譜はすべての小節に綿密な指示が記されていますが、即興的に自由にというのも彼の音楽の重要な要素になっています。この一見矛盾した特徴がディアンス独特の心の揺らぎ、繊細な感情、移ろいやすい精神性につながっていると思います。
以上、ここに記したことが私の曲想です。このような音楽を皆さんにお届けします…というには私はあまりにも力不足ですが、精一杯、悔いの残らないように演奏します。
竹田 和樹 (工 4) |
作曲者のイサーク・アルベニス(1860 - 1909)はグラナドス、ファリャと並ぶ近代スペイン音楽における巨匠なんですが、12歳の時に単身密航という形で南米大陸に渡り、演奏で食い扶持を稼ぎアメリカまで旅した、という武勇伝があるそうです。
ただしこの話自体本人の作り話という説もあるそうです。いずれにせよお茶目ですね。
そんな自由奔放・旅好きなアルベニスがグラナダやカディスなどスペイン各地の印象をモチーフに作ったのが「スペイン組曲」です。これらの曲は元々ピアノ曲ですが、曲に漂うスペインの風情がギターに合うので編曲されて弾かれることが多いです。ぶっちゃけピアノよりギターで弾く方が多いくらいでしょう。
今回弾く「セビーリャ」はこの組曲の3番目にあたる曲で、イスラム色の強く残るセビリアの町が舞台です。4月になると大きな祭りがセビリアでは開かれますが、この祭りで踊られるセビリャーナスという華やかな踊りで曲は始まります。
元がピアノだけにギターでは難しいですが、かき鳴らしなどギターらしい技術が活かせます。中間部になると一転して物悲しい唄が流れますが、これはキリストの受難など深い悲しみを表したサエタという唄がモチーフになっていてどことなくイスラム的な色香も漂います。この部分ではギターの持つ美しい音色の魅力が最大限に発揮されます。 悲しげな唄が終わると再び祭りの活気が戻ってきて賑やかな踊りによって華々しく曲は幕を閉じます。
この曲は私が1回生の時からずっと弾きたいと思っていたもので、4回生になった今ようやく人前で弾けるようになりました。自分の好きな曲を人に聞いてもらえる喜び、演奏を聞いてくれる皆様への感謝を込めて弾きます。もし聞き終わった後に、ほんの少しでも「いい曲だったな」と思ってもらえればうれしいです。
橋村 秀典 (理 4) |
このイ短調組曲は、ポンセとセゴビアがヴァイス作曲であるとして発表した曲で、ヴァイスの生きたバロック時代の音楽を意識して書かれています。Prelude・Allemande・Sarabande・Gavotte・Gigueの5つの楽曲で構成されていますが、今回はその中のSarabandeを演奏します。温かかったり、優しかったり、切なかったり、といった感情の移ろいを表現できたらと思います。
ギタークラブに在籍して4年間、様々な曲に出会いました。その中でも私の一番好きなこの曲を、今日こうして演奏できることをとても嬉しく思います。今日の定期演奏会にお越しくださった皆様とギタークラブの部員のみんなへ、感謝の気持ちをこめて
増岡 千裕 (農 4) |
セザール・フランク。フランス近代音楽の父とも呼ばれる彼は、サン・クロチド教会のオルガニストとして慎ましい生涯を送った。
ひたむきに、謙虚に芸術に向きあった彼の旋律は憂愁に満ちながらも優しく我々を包む。
この祈りの歌は、届いているのだろうか。そんなこと、疑いもしなかった。
けれど、どれだけ声を振り絞ろうとも、天は遙か彼方にあった。
胸の内で鳴り響くざわめき。それは、やがて心を覆い尽くす。
そして、扉が開く。
静寂の中浮かび上がる、あの残響。その想いは膨れあがり、独り暗闇へと沈んでゆく。
思索の果て、ようやく見つけた微かな光。触れようと、そっと手を伸ばす。
夢か現実か。虚ろな意識の中、たゆたう音はパイプオルガン。
気がつけばそこには、いつの日か歌った、あの旋律が―
桑原 範好 (工 4) / 横山 大稀 (農 4) |
無伴奏チェロ組曲第3番はその名の通りチェロの独奏曲です。本来の調性はハ長調ですが、今日はギター用にイ長調で編曲されたものの中から3曲を演奏します。
前奏曲。主音から大きく舞い落ちるようなスケールに始まり、中盤では輝かしく雄大なアルペジオ、最後は壮大なコーダ(のような部分)を経て終結します。和音の少ない線的な曲ですが、様々な色が目まぐるしく現れます。
4分の3拍子のゆったりとした舞曲。ワルツなどの通常の3拍子の曲とは異なり、基本的に2拍目に強拍があるのが特徴です。相手に何かを問いかけるような音型が印象的で、時には強く主張するような劇的な部分も見られます。
8分の3拍子の軽快な舞曲。縦横無尽に忙しなく動き回り、少しずつ高揚していって頂点に達した後、躍動感溢れる旋律が繰り返されます。この曲はその軽快さを出すのが難しく、技術的な難点も相まってとても僕を苦しめてくれました。
ギターにはチェロのような音の厚みや伸びは出せませんが、ギターだからこそ出せる音の響きや音色の変化があります。この曲を通して、ギターの音色の変幻自在な美しさを自分なりに表現できればと思います。
最後に、4年間楽しい時間を過ごさせてもらったギター部に、そして今日聴きに来てくだった全ての皆様に感謝の気持ちをもって弾きたいと思います。
中西 智宏 (工 4) |
Arcangelo Corelliはバロック時代に活躍したイタリア生まれの音楽家で、バッハやヴィヴァルディら後の音楽家にも大きな影響を与えたと言われています。
今日は彼の作品の中から、合奏協奏曲1番より3,4,5楽章をお届けします。25人の部員による豊かな響きをお楽しみ下さい。
conductor | 河村 悠太 (教 3) |
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1st | 綿井 博康 (農 3) / 佐藤 仁紀 (工 3) / 本多 信太郎 (工 2) / 良永 裕佳子 (工 2) / 岡田 成史 (理 4) / 桑原 範好 (工 4) / 横山 大稀 (農 4) |
2nd | 阪本 浩太 (文 3) / 広田 連 (理 3) / 井川 桃子 (総人 2) / 兒島 清志朗 (工 2) / 近藤 望 (総人 4) / 幡地 祐哉 (文 4) |
3rd | 兼近 悠 (工 3) / 貫 龍太 (経 3) / 金丸 花実 (文 1) / 内山 隆太 (理 2) / 小島 千鶴 (文 4) / 中西 智宏 (工 4) |
4th | 久米 達也 (工 3) / 宇野 匡範 (工 2) / 岸本 明子 (文 2) / 山崎 智史 (文 2) / 橋村 秀典 (理 4) / 増岡 千裕 (農 4) |