日時: 2003 年 07 月 05 日
場所: 北文化会館創造活動室
無伴奏チェロ組曲のバッハの自筆譜は現在残ってない。 バッハの妻アンナマグダレーナの写譜によって私達はその内容を知ることができる。 この第 6 番は 5 弦チェロのために書かれたとも言われるし、やはり 5 弦のヴィオラポンポーザのために書かれたとも言われ、どのような楽器で演奏されたかさえ明確ではない。 ここで用いる編曲はピアノ用の編曲をさらにギター三重奏にしたものである。
バッハは様々に組曲の可能性を試した。 一連の無伴奏チェロ組曲ではアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグが一般的な組み合わせであった組曲に、プレリュード、ブーレ、メヌエット、ガヴォットを挿入している。 この 6 番に挿入されているガボットは、いまでは三拍子のメヌエットもおなじく中世のフランスブルゴーニュ地方の民族舞踊バスダンスを先祖にもち、さらに中間のガボットでは民族楽器バグパイプの模倣が聴かれたりと非常に庶民的で牧歌的な曲である。 だから、当時どのように演奏されたかを追究するのも非常に価値あることと思うが僕はおそらく当時の人間と大変異なる世界観をもつ現代人に直接語りかけるように精神的な意味でも transcription したいと思う。
conductor | 坂本 和穗 (工 2) |
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1st | 石田 譲愛 (農 1) / 大谷 拓也 (工 1) / 三島 健史 (法 1) |
2nd | 喜田 龍一 (理 2) / 等々力 成史 (農 1) / 北村 芙美 (農 3) / 酒井 美友紀 (経 1) |
3rd | 宇野 新平 (理 1) / 三浦 朋子 (文 1) / 衛 涛 (工 2) / 塚本 紗恵子 (農 3) |
ハバネラは 19 世紀前半にキューバに起こったスペインの特徴的舞曲で、「ハバナの踊り」という意味を表します。 S. イラディエール作曲『エル・アレグリート』を G. ビゼーがオペラ『カルメン』で借用したものが有名ですが、今日演奏する曲はスペインのレウスの生まれた作曲家 A. アルバによる作品で、 4 分の 2 拍子のゆるやかな曲調です。
西川 亜希子 (薬 2) |
組曲は元々舞曲から由来した器楽様式としてトイチのアラマンド、フランスのクーラント、スペインのサラバンド、イギリスのジーグのみならずメヌエット、ブーレなど様々な舞曲が含まれています。 その中でもっとも美しく、ゆっくりしたテンポのサラバンドはみなさんと一緒に聴けたら嬉しいです。
徐 普永 (工 3) |
A. バリオスはパラグアイ生まれのギタリストで、「ギターのパガニーニ」や「ギターのショパン」と呼ばれ、ギター音楽を広く普及させました。 この『人形の夢』という曲は、メロディーが単純な分表現力がとても重要な曲です。 曲の途中には、 arm.8va が連続しますが、そこをビシッと決めればとても格好いいと思います。
川西 康友 (工 2) |
『中南米組曲』は、ブラジル、ボリビア、パラグアイ、チリ、ペルー、アルゼンチンの 6 つの曲と、プレリュード 1 曲から構成されています。 今回演奏するのは、そのうちプレリュードとグアラニア ( パラグアイ ) の 2 曲です。
中南米というとにぎやかなイメージがあるかもしれませんがとくにこの 2 曲には悲哀感を感じさせる冴えた美しさがあると思います。
髙島 慈 (文 2) |
この組曲は、ポンセが S.L. ヴァイスという名義で作曲したリュートの曲でポンセの作品の中でも高い人気があるものです。 中でも今日演奏するジーグは単独で弾かれることの多い曲で、和音の少ない線的な構成がきわだっています。 流れるようなメロディを崩さないように弾きたいです。
宮内 真紀子 (工 3) |
タルレガの作品の中でも演奏されることは少ないようで、練習していると、必ずと言っていいほど「その曲、何?」と聞かれました。
タルレガの書いた曲はどれも一聴して彼のものだと分かる、独特の美しさがあると思います。 それは彼の作品が、楽器の可能性を追求し和音の効果や運指にこだわって作り上げられた、純粋にギターの為の音楽であるからかもしれません。
この曲には、オクターヴの和音とトレモロの併用でメロディが動いてゆく特徴的な奏法が使われている他、色々と印象的な部分があります。
坂口 純一 (工 3) |
ロンドンという都市はなかなか晴れません。 一日のほとんどは曇天です。 僕はロンドンに行ったことがないので何とも言えませんが、やはりそんなにくもりつづきじゃいやです。 胃が痛くなります。
曲を通して底の抜けた明るさはありません。 しかし曲の大半で見られる憂いをおびた明るさはジブリの曲の様です。 みなさんを心地よい大空への旅へとお招き致します。 ファーストクラスに座った気持ちでお聴き下さい!
1st | 東原 正裕 (総人 2) |
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2nd | 川津 一隆 (農 2) |
A. バリオス ( 1885 ~ 1944 ) は南米出身の作曲家で、また優れたギタリストとしても知られています。 彼自身は名声を追い求めることなくこの世を去りましたが、死後、公にされた彼の作品は、現在多くの人々を魅了しています。
今日演奏する『フリア・フロリダ』は「花のフリア」という意味です。 この曲は、 A. バリオスがコスタリカで出会ったフリアという名の女性に捧げられました。 舟歌のリズムにのって現れる美しい旋律は、「ギターのショパン」と評されたバリオスのロマンティシズムに溢れたものとなっています。
矢野 由紀子 (工 3) |
この曲はカタロニア地方の民謡を M. リョベートがギター曲に編曲した 12 曲のうちの一つである。
歌の内容はある伊達男の盗賊がとうとう捕縛の憂き目にあい、処刑される前にもう二度と逢うことの出来ない恋人達、美しい自然のことを思って歌ったものだという。 ここで私は重要な問題に気付くことになった。 というのも私は伊達男でも、ましてや盗賊でもないのである。 以前の私なら、気持ちなぞこめなくても弾けるだろう、とこのまま演奏に臨んでいただろう。 しかし京都の長い冬を精神と時の部屋で修行した私は違った。 ある哲人の言葉「内容なき思惟は空虚であり、概念なき直感は盲目である」を思い出し、これをギターに当てはめるならば「内容なき演奏は空虚であり、概念なき楽曲は盲目である」となることに気付いたのである。 そこで私は曲に込められた思いを悟るために伊達男か盗賊になることにしたのだがやはり犯罪者になると親が悲しむと気付き、最終的に伊達男になることに決めたのである。
川津 一隆 (農 2) |
スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿の正門を入っていくと、ある部屋の外壁に、「 1882 年春イサーク・アルベニスここに住む」と書かれたアラビア陶器の板が掛かっています。 22 歳のアルベニス、アンダルシーア音楽作曲の始まりでした。
宮殿から眼下の西、遠くに「朱色の塔」があります。 夕日があたると赤くなることからこの名が付きました。 グラナダの歴史の悲話がいくつも語られるこの朽ちかけてはいるが神秘的な塔の姿に、アルベニスは憂愁を感じて心情を描写し、朱色の塔を作曲したのだと言われます。 長調に転調する部分は華やかな往昔への回想でしょうか。
人間五十年 下天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり ひとたび生を得て
滅せぬものの あるべきか
この引用句は、アルベニスと同じ49歳で没した日本の戦国大名、織田信長が愛してよく舞い歌ったものです。 これはこの曲と同じ、一つの人生観を歌ったものだと思われます。 信長が建立させた、居城安土城の天守跡は滋賀にあり、今では石が整然と並んで、木々が立っています。
井谷 光浩 (経聴) |
太平洋に浮かぶ火山島、カナリア諸島。 そこに伝わる舞曲から発想された 17 世紀スペイン・バロック。 古き良き形式美を完璧に継承しつつも、曲想はやすやすと鋳型をあふれ出し、耳朶にとりつき離れない。 クラシック・ギター創生期の作品でありながら、現代でもその魅力を失わない名曲である。
和田 敏裕 (工 3) |
衰退期にあったギターを復活させ新たな世界を構築したタルレガの音楽は、深淵であります。 全く僕には理解できません。 そういえば彼のあごひげも理解できません。 伸びすぎです。 写真を見ると、あごひげの中に口がうもれています。 僕は名曲『ラグリマ(涙)』をバカにするやつは許しません。 しかし一番許せないのは一生懸命ひいてる人を批判することです。 そういう輩は滅するべきなのです。 僕は人類愛を大切にしたいのです。
東原 正裕 (総人 2) |
クラシック・ギターは英語圏ではスパニッシュ・ギターと呼ばれているそうです。 つまり、ギターは情熱の国スペインで生まれ育まれた楽器なのです。 そんな熱い Spanish ギターというハードに、どちらかというと冷静で落ち着いた感のある「さくら」という Japanese 民謡をソフトに用いてみようというのがこの曲なのです。 そして私は、桜をこよなく愛する一日本人として、冷静と情熱の間でひらひらと散りたいです。
西村 綾 (文 3) |
架空のサーカスに登場する 9 つの場面の 9 つの小品。 この曲たちは、鑑賞者に対して解釈の多様性は認めていない。 等しく同じように解釈されるように作られている、「閉ざされた」作品である。 この連曲の至る所に引用が鏤められている。 引用は、コンテクストを粉砕し、超越さえもすると言ったのはデリダであるが、この場合の引用はコンテクストを粉砕してはいるものの超越はしてない感がある。
これらの引用は明らかに「滑稽化(パロディ)」として認識される。 そして引用される作品は誰に対しても馴染みのある曲であると思われる。 引用や聞き覚えのありそうなメロディは、ある場面、感情を想起させるようにも働く。 解釈は比較的容易で理想とされる鑑賞者に対しては「開かれている」といえる。
さて、上演する立場からすると楽譜は必ずしも一意的に読めるものとは感じられない。 作曲者自身が演奏者に対し曲への参加を要請しているか、あるいは、せざるを得ない状況になっている。 演奏者に対しては解釈に多様性があり「開かれて」いる。 この状況では作曲家、演奏者、鑑賞者のヒエラルキーは必ずしも成立していない。 あるいは、演奏者は単に翻訳者としてのみ作用しそのヒエラルキーから脱している。 解釈の一致をみるために、 9 つの場面と 9 つの曲の説明が必要である。
「説明する」とは、事実を述べることのように勘違いされるかもしれない。 今から説明するのは鑑賞者に対しての解釈を「閉ざす」ために発言するのである。 その発言そのものが、解釈を強制させる「行為」になっているのだ。
アルゼンチン人のナイフ投げ。 ナイフの突き刺さる音、アルゼンチンタンゴの響き。 これらが、二人の駆け引きにより緊張感、臨場感ある場面を想起させる。
ギリシャ馬とスパニッシュ騎馬。 英語の Greek には「ちんぷんかんぷん」の意味もある。 もしかすると、トロイア戦争の勝敗を分けた「トロイの木馬」の意味もあるかもしれない。 馬の気分によって惑わされるラテン系の男の姿でも想像してほしい。
蝋人形館。 マダムタッソーの蝋人形館を思い出した。 本物にそっくりよく出来たものだが、よくみると「滑稽」である。 そんな、偽物がたくさんある博物館だろう。
クワクワとうるさいアヒルの徒競走。 追い越し追い越され、羽ばたいたり、小走りになったり。 まぬけでかわいらしいアヒルのレースを想像してほしい。
ぷりっ! アンデスのノミ。 Pilk は、ノミの動作の擬態語と決めつけた。 ノミのサーカス、アンデス風。
ウラル川の魔法の声とドン川のコサック人。 コサック人はウラル川やドン川にアタマンとよばれる軍事組織を形成した歴史があるがあまり関連はなさそうだ。 ロシア的な響きが特徴。
On Ice
氷上の消防隊。 氷と炎の対比が面白い。 滑稽な消防隊の姿を想像してほしい。
ヨギーの鍵穴抜け。 ヨギーとはヨーガ行者の事。 苦労して鍵穴を通り抜ける様子。 現実には不可能だが。
さようならの曲。 さようなら。
このような、曲に対し、批判的ともとれる書き方をしてきたが、このような曲が悪いとは思わない。 ゴダールは、芸術は対象の形式化であると言っていたし、そもそも、オリジナルやその他の概念は、非常にあいまいである。 「閉ざされた」芸術は、現代の要求するところである。 ウォーホルは、メディアによって成り立っている人間だったし、グールドはレコーディングの可能性に注目していた。 そもそもコミック作品は解釈に対して「閉ざされ」るべきだろう。
1st | 福田 志郎 (理 4) |
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2nd | 坂本 和穗 (工 2) |
「星の世界」または「星の界 ( よ ) 」という名で知られる有名な童謡を日本で最も著名な作曲家、武満徹がギター用に編曲したもの。 5 弦を G 、 6 弦を D に下げる変則チューニングを用いてト長調であるこの曲の調性を明確にしているが、童謡ぽさを消している複雑な和音は武満ならではと言えるだろう。
彼はこの曲をもって、自身の言う「今日
との触れあいを失った閉ざされた状況」にあるクラシック・ギターの世界にうねりをもたらそうとしたのだ。
その精神を演奏者として真摯に受け止めたい。
耒 順秋 (工 3) |
表題は華麗なる舞曲という意味ですが、メロディや和音は重荘な雰囲気を持っています。 今日は真っ向勝負、表題通りに華やかに弾きたいと思います。
牧野 健三 (工 4) |
ロマンチックなこの曲は『 Valse Brilliante ( 光りかがやくワルツ、華々しいワルツ ) 』とも呼ばれています。 明るく華やかに弾けたらなと思っております。
中山 敦喜 (理 3) |
スペインといっても地方によっていろいろな文化がある。 この曲は、フランスに距離的にも文化的にも近いカタロニア地方のモンポウがスペイン北部のケルトの文化をもつガリシア地方の踊りムニェイラを題材に書いた曲。
坂本 和穗 (工 2) |
リュート組曲は、バロック音楽を代表する作曲家 J.S. バッハ ( 1685 ~ 1750 ) がリュート用に編曲した作品ですが、このロンド風ガヴォットをはじめとして多数の作品が無伴奏ヴァイオリン・パルティータとしても知られています。 これらの作品はリュートが弾かれることの少なくなった現代ではたびたびクラシック・ギターで演奏され、重要なレパートリーの 1 つとなっています。 また、この曲のロンド風とは、主テーマが挿入部を挟んで数度繰り返す形式のことで J.S. バッハの他の作品にも、よくこの形式を見ることができます。
村上 平 (工 4) |
の 4 曲からなる。 ピアソラは、タンゴに Jazz の要素や現代的な要素を取り入れタンゴを進化させた。 まず、 Bordel 1900 は軽快かつ単純な曲である。 Café 1930。 哀愁のある渋い曲。 Night Club 1960 、熱く激しい曲だが悲しさも表現されている。 そして、Concert d'aujourd'hui 、現代のコンサート。 時代を表現する組曲のような形で展開する。
なお、今回友情出演してくれた平夏樹君は、京都工芸繊維大学 4 回生で京大オーケストラに所属している。 現在は前線を退き後輩達の指導的立場をになう。 本日は、京大オケの京都公演の日であるにもかかわらず、この京大ギタークラブの独重奏会に出演してくれた。 ここに記して深く感謝の意を表したい。
Fl. | 平 夏樹 (友情出演) |
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Gt. | 福田 志郎 (理 4) |